第206回「歴史と人間」研究会

 日時: 2012年7月28日(土)14時より * 今回は土曜日の開催ですので、ご注意ください。
場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図6番 http://www.hit-u.ac.jp/annai/campus/index.html

報告: 中村 晋也氏
タイトル: 「文化財保護制度の発展―明治から昭和の法制を中心に―」

要旨:
 近世以前、現代でいう「文化財」は、天皇家や公家、武家、富裕商人の家財として、または社寺における宗教活動における宝物として、必要に応じて修理・修復を繰り返しながら、後世へと伝承されてきた。しかし、この時点でのそれらの位置づけは「property(財産)」であり、所有者の価値基準や必要性に大きく影響を受けながら保存・継承されてきた。
 一方、現代において文化財保護を語る時、「heritage」という表現をよく耳にするようになってきた。heritageを辞書で引くと、「遺産、先祖伝来のもの」などの訳が見られるが、キーワードとして「未来に残すべき」という言葉が添えられている。つまり、ここでは対象となるものを未来へ伝承するか否かを判断するときに、所有者だけではなく国家や民族単位の公共的な価値基準が加味され、「継承すること」の意味が変化してきた。
 それではいったいこの変化はいつ、何がきっかけで起こったものだろうか?
 我が国における文化財保護制度の発展は、明治以降の近代国家の成立・発展と大きな関係がある。明治維新後の欧化主義や廃仏毀釈の風潮、近代化の進展に伴う国土開発と工業化、世界規模の経済不況、第2次世界大戦による軍国主義と戦後の社会混乱などは、文化財の破壊や衰亡に大きな影響を与えてきた。同時に、この文化財の憂慮すべき危機状態は、当時の政府要人や識者に、それらの保護が急務であることの識認を芽生えさせ、国家的な保護制度制定を模索する背景ともなった。
 本報告では、明治初頭の対策から昭和の文化財保護法成立までの法制発展の歴史を辿り、今後の文化財保護制度の在り方を展望し、課題について言及する。


* 8月の例会はお休みです。次回は9月23日(日)、萩田翔太郎氏によるご報告の予定です。


第205回「歴史と人間」研究会

日時: 2012年6月17日(日)14時より
場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図6番 http://www.hit-u.ac.jp/annai/campus/index.html
報告: 櫻井 文子氏
タイトル: 「都市」と探検:エドゥアルト・リュッペルのスーダン調査旅行(1822-27)
要旨:
 危険をかえりみずに前人未踏の秘境に分け入り、そこに見出した未知の動植物や鉱物を収集し持ち帰る自然科学者。持ち帰られる数多く希少な標本。珍奇な風俗や奇怪な動植物の描写。波瀾万丈の冒険をつづるナラティブ。
 近代ヨーロッパの探検旅行家のイメージそのままに、フランクフルトの探検旅行家、エドゥアルト・リュッペル(Eduard Rueppell, 1794-1884)は、アフリカ内地を旅した。1820年代初頭、ムハンマド・アリーによるスーダン侵攻(1820-21)の戦火がいまだくすぶるスーダン奥地を踏査し、持ち帰った数々の標本で、フランクフルトのゼンケンベルク博物館の陳列棚を飾ったのである。
 自然科学的な調査旅行を、歴史研究の中で語る枠組みは限られている。帝国主義的なまなざしで世界を再構成する手段のひとつとして、または各国が政治的・経済的な影響力の及ぶ範囲を拡大する手がかりの一つとして、そしてより直接的には、有用な知識や物品を入手する方策として、調査旅行は読み解かれることが多い。リュッペルの調査旅行もまた、そうした枠組みの中に収まるものとすることができるかもしれない。
 だが一方では、帝国主義というくくりでは回収しきれない要素も、彼の調査旅行には内包される。例えば彼が自分の企ての後ろ盾として選んだのは、ヨーロッパのいずれかの政府やその息がかかった組織ではなく、ムハンマド・アリーの政権だった。また、リュッペルや、彼のフランクフルトの同僚たちが望んだ博物館のあり方もまた、パリやロンドンのケースとは趣を異にするものだった。では、そうした要素をどう読み解くことができるのだろうか? 本報告では、「都市」そして「都市同士の競争意識」という要素を取り入れてみることで、新しい切り口の可能性を探りたい。

*次回は7月28日(土)、中村晋也氏によるご報告の予定です。


第204回「歴史と人間」研究会

日時: 2012年4月29日(日)14時より
場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
報告: 磯部 裕幸氏
タイトル: 熱帯医療と植民地社会―ドイツ領東アフリカ・トーゴ・カメルーンにおける「眠り病」対策
要旨: 本報告では、20世紀初頭アフリカ赤道地域で蔓延した「眠り病(アフリカ・トリパノソーマ)」に対して、ドイツ植民地政府がどのような対策をとったのかについて考察するものである。当時のドイツ領植民地においては、三地域(東アフリカ・トーゴ・カメルーン)がその被害に遭っていたが、行なわれた対策は各植民地で大きく異なっていた。なぜドイツの「眠り病」対策が各植民地で統一されなかったのか、そこにはいかなる政治的、経済的あるいは自然地理的な要因が働いていたのか。本報告ではそうした疑問に答えながら、医学史と、政治史や社会史、経済史といった「普通の歴史」との交流可能性についても議論したいと考えている。
 
* 学会シーズンのため、5月の例会はお休みです。次回は6月17日(日)、櫻井文子氏によるご報告の予定です。

第203回「歴史と人間」研究会

日時: 2012年3月18日(日)14時より
場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
報告: 加藤 鉄三氏
タイトル: シカが町にやってきた?―カリフォルニア・ゴールドラッシュにおける日常生活の中の野生動物と自然賞賛(に関する非実証的考察)―
要旨:
 ゴールドラッシュの真っ只中にあったカリフォルニアのソノラという鉱山町で、1851年の9月のある日、シカが町に駆け込んでくるという出来事があった(らしい)。
 この出来事を記した人物はもっともらしい状況解説を行っており、報告者自身、かつてこれを史料として用いたことがあるのだが、本報告では現代心理学などを援用しつつ、その懐疑的検討をすることから始め、食肉目的の狩りを軸に、野生動物との関係へと話を進める。
 さて、1849年に起こったカリフォルニア・ゴールドラッシュは極めて有名な出来事であり、19世紀半ばまでの出来事としては、(出版)史料も数多いにもかかわらず、日本における詳細な研究は少ない。また、アメリカ環境史研究においても、鉱山開発と環境破壊をめぐる研究、カリフォルニアのゴールドラッシュ期以降の環境史研究が公刊されているものの、概説的言及と断片的言及を除くと、対象は企業的な鉱山開発が主であり、小規模グループが主であった初期ゴールドラッシュは本格的には論じられてこなかった。
 そこで、1848年から50年代前半に焦点を当てて、鉱夫たちの日記・書簡集・回想録、ジャーナリストの記述といった出版史料を軸に、上述の鉱夫と野生動物の関係に加えて、鉱夫たちの自然環境描写を検討する。破壊的な側面については概略としては論じられてきたことであり、想像もしやすいであろうが、白人鉱夫らがその初期から、彼らを取り巻く自然景観を賞賛していたことはほとんど知られていない。そこで、それらの傾向性を指摘し、その背景にあったと考えられる(出版)文化への言及も試みる。但し、文化については、筆者の現在の力量から、予備的考察に留まることを予めお断りしておく。

* 次回の例会は4月29日(日)、磯部裕幸氏によるご報告の予定です。



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