第238回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年10月24日(土)14時より *土曜日ですのでご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
 (キャンパス地図10番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 馬場 わかな
タイトル: 「世紀転換期ドイツにおける社会保険制度と女性―在宅看護・家事援助を手がかりとして―」

要旨:
 本報告の目的は、在宅看護・家事援助(Hauspflege)という活動に着目しながら、19/20世紀転換期ドイツの社会保険制度について考察することである。
 在宅看護・家事援助とは、出産や病気などに際してもなお主婦・母親役割を継続することを余儀なくされていた既婚女性に対して、その役割の代行を主な任務とする扶助員を派遣し、女性の家族全体の「秩序ある生活」の維持を目指した活動である。1892年にフランクフルト・アム・マインでドイツ最初の在宅看護・家事援助協会が創設されたのを契機として、ベルリン(1897年)、ハンブルク(1899年)、デュッセルドルフ(1909年)などで同様の協会が創設され、第一次大戦前夜には、40以上の都市で在宅看護・家事援助が実践されていた。
 このように民間主導の扶助として在宅看護・家事援助が提供されていた一方で、在宅看護・家事援助を社会保険の給付化しようとする動きも生じていた。この動きは、1911年のライヒ保険法において結実する。同法第2編の疾病保険に任意給付として組み込まれたのである。現在でも、在宅看護・家事援助に相当する給付は、社会法典第5編の法定疾病保険で、「在宅病人看護」(第37条)や「家政扶助」(第38条)として規定されている。
 本報告ではまず、妊娠・出産や病気に関する規定の変遷を概観しつつ、この在宅看護・家事援助について、ハンブルクおよびデュッセルドルフの在宅看護・家事援助協会の活動実態や保険給付化をめぐる議論に即して具体的に解明する。それを通じて、世紀転換期ドイツで「誰の、何について、どのような支援を、どのように行うべき」だと考えられていたかについて考察を加えたい。そして、在宅看護・家事援助が「家事の労働化」を推し進めた一方で、逆説的ながら、社会保険制度の前提となっていた「男性稼得者・専業主婦モデル」を強化する方向にも作用したことを示すのが本報告の課題である。
 

* 次回は11月14日(土)佐藤和哉氏による報告の予定です。


第237回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年9月27日(日)14時より
場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
(キャンパス地図10番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
報告: 犬童 芙紗氏
タイトル: 「ジングアカデミーと19世紀ハンブルクの社会―合唱協会と慈善活動の関わり―」
要旨:
 19世紀ドイツには、共通の目的や関心のもとに自発的に集まった人びとで結成する自主組織「協会」(Verein)が数多く設立された。合唱協会は、19世紀ドイツに設立された協会の例としてよく言及されるが、1791年にベルリン・ジングアカデミーが設立されたのを機に、ドイツ各地で設立された。
 19世紀ドイツの合唱協会に関しては、これまで、男声合唱協会の合唱祭や祝祭とドイツ国民運動との関わりを中心に、多くの研究成果が生み出されている(松本彰氏他)。合唱協会が市民層の自意識の表現と結びついていたことは、井上登喜子氏が19世紀ドレースデンの合唱協会の実証研究を通じて明らかにしている。宮本直美氏は、合唱協会の活動を、市民的教養の理念との関わりから論じている。報告者は、ハンブルク・ジングアカデミーが毎年開催していた慈善目的を伴う演奏会に注目して、都市内部の社会的関係におけるジングアカデミーの位置づけやその役割について研究を進めている。
 ハンブルク・ジングアカデミーは、1819年に設立されたが、当初は、公開の演奏会を開催していなかった。だが1835年以降、毎年、聖週間に公開の演奏会を開催し、入場券やテキストの販売を通じて得た収益金を慈善のために寄付するようになる。当時、ハンブルクには、貧困層の増加を巡る社会問題の深刻化に対する市民層の関心が高まっており、市民の有志によって、貧民支援を目的とした慈善団体が相次いで設立されていた。ジングアカデミーはなぜ1835年になって、定期的に公開の演奏会を開催するようになったのだろうか。ジングアカデミーの慈善目的を伴った演奏会は、ハンブルク市民によって結成された様々な慈善団体の活動とどのように関係していたのであろうか。そこから、当時のハンブルク市民の間の社会的関係も明らかになるのではなかろうか。
 本報告では、まず、ジングアカデミーが1835年から定期的に公開で演奏会を開催するようになった経緯を明らかにし、その意義について論じる。それから、ジングアカデミーと19世紀ハンブルクにおける市民による慈善活動の関係、および市民の間の社会的関係について、演奏会の収益金の寄付先に注目して考察する。考察には、ハンブルクの州立・大学図書館に所蔵しているジングアカデミーの議事録、州立公文書館に所蔵している市参事会や教会の一次史料、および、ジングアカデミーから演奏会の収益金の寄付を受けていた慈善団体の年報や議事録を利用する。

* 次回は10月24日(土) 馬場わかなによる報告の予定です。

第236回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年7月11日(土)14時より *土曜日ですのでご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
(キャンパス地図9番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 高嶋 修一氏
タイトル: 「鉄道と社会秩序:日本の場合」

要旨:
 「日本人は礼儀正しく秩序を重んじ、電車に乗るときもきちんと列を作るのであって、我勝ちに駆け込むようなことはしない」という類の言説がいま、メディアにあふれかえっている。それらは臆病なナショナリズムがすがろうとする「藁」に過ぎないのだが、一方で人々がラッシュ時の駅ホームできちんと列をなして素早く乗降し、列車の定時運行を根底で支えているのも事実であって、これは西欧諸国の鉄道と比べても際立った特徴と言える。
 もちろん、それが「民族の特性」などに由来するものでないことは明白である。そのことは、かつては「西欧人は公共の秩序を重んじるのに対し、日本人はそれができない」といったような議論が学界でも世間でも優勢だったことを想起すればすぐに諒解される。要するに、この種の事柄は、時間とともに変化する、すぐれて歴史的な現象なのである。
 では、日本人はいつからどのようにして(少なくとも電車に乗るときには)「礼儀正しく秩序を重んじる」ようになったのであろうか。新聞記事や各種の調査資料を見る限り、駅や車内で列を作りスムーズに行動することに対しては20世紀初頭からすでにポジティブな価値が与えられていた。経済的な効率性の向上に寄与するというわけである。もっとも、人々の実際の行動はそうした規範からかけ離れたものであった。
 だが、両大戦間期から戦時期にかけて、日本人は列を作り素早く行動するように変化していった。それは、輸送量が急激に増加したにもかかわらず、それに見合うだけの設備投資がなされなかった結果であった。根底には資金と資材の不足があったのだが、人々はこうした事柄を必ずしも抑圧とは受け止めず、むしろ身体のシステマティックな所作に要求されるある種の「熟練」を道徳的優位性と結びつけ、積極的に受け入れていったのである。
 社会資本整備を最小限に抑えつつその不足を人間行動のシステム化で補い、しかもそれを積極的に評価するという日本社会のこうした傾向は戦後まで継続したし、冒頭にみたようにこんにちにもみられる。だが、もし設備の側が充足するかあるいは過剰になれば、こうした道徳律も動揺せざるを得ないであろう。
 本報告では、こうした問題を東京の都市交通に即して考えてみたい。
 

* 8月の例会はお休みです。次回は9月27日(日) 犬童芙紗氏によるご報告の予定です。


第235回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年6月21日(日)14時より

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
(キャンパス地図9番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 高林 陽展氏
タイトル: 「ニューロ・ヒストリーとは何か?―「神経学的転回」と歴史叙述の現在―」

要旨:2009年、カリフォルニア大学ロサンゼルス校のサーバーに「ニューロ・ヒストリー」なるウェブサイトが登場した。このホームページの設置者(ないし賛同者)として挙げられた5人の歴史家たちのなかには、フランス革命や文化史の研究で日本でもよく知られたリン・ハントの名前があった。このホームページの内容に従えば、ニューロ・ヒストリーとは、「認知神経科学の洞察から得られた歴史に関するパースペクティブ」であり、「いかに文化的構造が脳-身体システムと相互交流し、形づくられるかを探求する歴史学」である。より具体的に言うと、地域、宗教、人種、性差、職業、その他社会的役割などによって特徴づけられる人口集団の文化的特徴は、脳の特徴という非言語的次元から特定しうるものであり、その知見から一定の歴史的変化を説明することが可能だと主張するものである。一見すると、これまでの歴史叙述理論の展開とはかけ離れた、突拍子もない話にも聞こえる。文化論的転回の先頭に立ってきたハントはなぜニューロ・ヒストリーを主張したのか。そもそも、ニューロ・ヒストリーはなぜ、どのように生みだされてきたのか。歴史叙述理論の歴史においてどのような意味を持つのか。そして、私たちはニューロ・ヒストリーにどのように向き合えばよいのか。本発表では、認知神経科学の展開、科学史・医学史を中心とした歴史叙述理論の展開、ニューロ・ヒストリーの登場とそれに対する批判的視座を順次検討する。そのうえで、近年の日本においてもニューロ・ヒストリーが萌芽しつつあることを確認し、ニューロ・ヒストリーとの向き合い方を論じる。議論を予告的に述べておくならば、ニューロ・ヒストリーの登場によって、歴史家がいま向き合うべき課題は、もはや言語論的転回にはなく、歴史学がネオ・リベラリズムの下で自然科学に基づく普遍主義という新たな「グランド・セオリー」に従属を迫られているという事態である。
 

* 次回は7月11日(土)、高嶋修一氏によるご報告の予定です。


第234回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年4月25日(土)14時より *土曜日ですので、ご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
(キャンパス地図9番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 森村 敏己氏
タイトル: 「地方アカデミーにおける奢侈批判―ブザンソン・アカデミー懸賞論文(1783年)―」

要旨:
 17世紀半ばから18世紀末までにフランスでは40もの地方アカデミーが設立され、その多くがアカデミー・フランセーズと同様に毎年テーマを発表し、懸賞論文を募っていた。ディジョン・アカデミーでの受賞を契機に、一挙に文壇の寵児となったルソーほどの華々しい成功は稀であったが、懸賞論文に応募し、成功することは無名の著作家たちにとって文芸共和国の一員となり、文名を上げるための登竜門として機能していたことは間違いない。
 そうした中で1782年、ブザンソン・アカデミーは「奢侈は習俗を堕落させ、国家を滅ぼす」というテーマで懸賞論文を募集した。フランスでは1730年代にジャン=フランソワ・ムロンが奢侈を擁護して以来、奢侈論争と呼ばれる激しい議論が続いていた。1780年代といえば、ほとんどの議論は出尽くした感があり、すでに新たな理論的展開は見られないが、それだけに応募作品には半世紀にわたる論争の展開がある意味で凝縮されている。応募者たちはその後、著述家として歴史に名を残すことはなかったが、彼らは18世紀における奢侈論争を十分に吸収していたし、体系的な作品を構築することはなかったにせよ、先行する思想家たちが提示した論点を取り入れながら応募作を書き上げていった。
 本報告では、18世紀後半に奢侈論争がたどった展開を懸賞論文への応募作の中にたどることを通じて、1780年代に奢侈をめぐる議論がどのような様相を呈していたかについてのいわば「見取り図」を提示したい。また、著名な思想家、独創的な理論家ではないものの、単に「読書する公衆」として18世紀の思想運動を受容するにとどまらず、懸賞論文の執筆という形で自らも文芸共和国に積極的に参加しようとした人々の中に、この「見取り図」がどの程度浸透していたのかを探ることにしたい。
 

* 5月は学会シーズンのため、お休みです。次回は6月21日(日)、高林陽展氏によるご報告の予定です。


第233回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年3月15日(日)14時より

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図7番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 長谷川 貴彦氏
タイトル: 「グローバル時代の歴史学を考える―ポスト転回の位相―」

要旨:
 グローバル時代に求められる歴史叙述とは、どのようなものなのだろうか。多くの歴史家は、現実の動きに翻弄されがちで、その方向性を見定めることは極めて難しくなっている。だが、そうした問いに対するヒントを与えてくれる書物が刊行された。まさに『グローバル時代の歴史叙述』(Writing History in the Global Era, New York : W.W. Norton, 2014)という題名をもつ、リン・ハントの著作である。ハントの背景にあるアメリカ歴史学界は、いわゆる「転回」を牽引して現代歴史学の中心に位置する。ここでの「転回」とは、1970年代以降に生じてきた、言語論的転回、文化論的転回、空間論的転回などの従来の歴史記述に対する再考の動き全体を指すもので、歴史叙述の構築性、文化史の台頭、個人史(主体)の復権、国民国家の相対化など、私たちが目にしてきた現代歴史学の諸主題は、全てこの「転回」の一環と見なすことができる。
 ハントによれば、現代歴史学の状況は、既存の4つパラダイム(マルクス主義、近代化論、アナール学派、アイデンティティ・ポリティクス)を批判してきた文化理論に基づく歴史学(文化論的転回)が活力を喪失しており、有効なパラダイムとしての代案を提示できないままに、トップダウン型のグローバル・ヒストリーだけが「大きな物語」の座を独占することになっているという。これに対して、ハントは「下からの(ボトムアップな)」グローバル・ヒストリーを提唱しており、それは「個人(主体)の復権」という現象とも共鳴するもので、「自己と社会」との関係の再検討が課題として提出される。この「自己」の再定義の試みは、「言語論的転回の最大の成果が個人に対する認識の深化」であり、「認知科学や脳科学こそが、歴史学が協力関係を取り結ぶべき隣接分野」という言明とも共振するものとなる。
 実際、日本の歴史学は、アメリカの知的世界と対話をしながら、独自の歴史認識を形成してきた。かつて丸山真男は、近代化過程における宗教倫理の役割をめぐり、プロテスタンティズムと儒教の差異を強調してロバート・ベラーと論争を行った。最近では、アンドルー・ゴードンが日本と欧米の近代化との同型性を探ろうとしたのに対して、中村政則は質的な差異を強調している。二つの「論争」に共通するのは、「近代」をめぐるアメリカ流の認識と日本の特殊性に立脚する歴史認識との差異である。この報告では、社会史から言語論的転回への史学史上の転換に関するみずからの研究のアウトラインを提示しつつ、アメリカ歴史学の全体像を伝えるハントの著書の批判的検討を通じて、グローバル時代の日本における歴史学のあり方を考える素材を提供したいと思う。
 

* 次回は4月25日(土)、森村敏己氏によるご報告の予定です。


第232回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年2月21日(土)14時より *土曜日ですので、ご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図7番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 瀬尾 文子氏
タイトル: 「メンデルスゾーン《エリヤ》のドラマ性とは――19世紀オラトリオ論との関係から」

要旨:
 メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn-Bartholdy)の二作目のオラトリオ《エリヤ》(1846年初演)は一般に、前作《パウロ》(1836年初演)がリリックな性格に勝っていたのに対し、ドラマチックな性格が前面に出た作品とされている。本報告は、この作風の変化を19世紀前半に音楽関連の活字メディア上で盛んだった「オラトリオとは何か」の議論と関連づけ、そこから新たな作品解釈の可能性の一つを提案する。
 ドイツ語圏での市民オラトリオ・ブームを受けて「オラトリオ」を定義し直そうとした論者の多くは、その本質を(従来考えられていたように)エポスでもリリシズムでもなく、ドラマに見た。と同時に、オペラとの違い、すなわち視覚的な演出の欠如に着目し、想像力を必要とするこのジャンルの精神レベルの高さを強調した。彼らはオラトリオに、物語世界が聴衆にとっての「現実」となるようなドラマ性を求める。そのため台本には、生き生きとした対話と筋の統一が肝要とされる。ただし、この種のオラトリオには弱点もあった。聖なる存在の具象化の問題である。不完全な人間が神を演じる際の危険をいかに回避しつつ、ドラマの虚構を築くかが大きな課題とされる。
 メンデルスゾーンの《エリヤ》のドラマ性は、こうした論点にいかに対処したものであるか。台本協力者シュープリンクとの往復書簡から、彼独自のドラマ性の概念が浮かび上がってくる。その特徴は第一に、客観的・批判的判断による物語の整合性よりも、間を置かない対話や意見の衝突から生まれるドラマの内的な力を優先した点、第二に、通常はドラマチックとは対置されるリリックな要素をも重視した点である。後者は、オラトリオの教義的な意味を重んじる神学者シュープリンクの意を汲んだ結果であると同時に、メンデルスゾーンの強い芸術的意図を表している。彼が求めた省察的な聖句は、《エリヤ》を貫く――そしてドラマの内的推進力となる――根本主題を成すものだからである。その主題とは「見えざる神の接近」である。この作品では、神は(声を含めて)いっさい具象化されず、「気配」のみが伝えられる。さらにこの主題は、作曲家が構想していた三作目《キリスト》(未完)を予告するものでもあった。
 

* 次回は3月15日(日)、長谷川貴彦氏によるご報告の予定です。


第231回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年1月31日(土)14時より *土曜日ですので、ご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図7番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 東風谷 太一氏
タイトル: 「近代バイエルンの手工業と営業の自由――『物権的営業権』(Real=Gewerberecht)をめぐる『所有』の問題」

要旨:
 本報告は18世紀後半から19世紀中葉までのドイツ・バイエルン地方を対象として、「営業の自由」導入をめぐる社会的相克を考察する。営業体制の自由化は社会の近代化の重要な指標として同時代から研究の対象となってきた。20世紀も後半に至るまでその過程は、「ツンフト制」に固執する「守旧的・受動的」な手工業者と「啓蒙的・革新的」な政府・官僚の対立を通して、工業化の抗いがたい趨勢のもと後者の掲げる「自由」が貫徹していくさまとして描かれてきた。昨今の中近世手工業研究はしかし、特に前者について、より柔軟な姿勢を持ち政治的にも能動的であったことを実証的に明らかにしつつある。
 こうした成果を踏まえ、本報告ではまずバイエルンにおける営業体制の自由化過程を跡付ける。そこから明らかとなるのは、政府・官僚が拒絶しえないようにその時々の「世論」に寄り添って自らの語りを変容させ自身の利害の正当化に努める手工業親方たちの姿と、特権や職域をめぐる日常的な反目から共通点を見出すことなど不可能に映る彼らを連帯させてしまう奇妙な「物権的営業権」(Real=Gewerberecht)の存在である。
 同時代の人々のみならず数多の先行研究においても「営業の自由」を阻む最大の要因のひとつと見なされながら、いまだに訳語すら一致せず、ときに誰の物なのかを特定することすら困難なこの「物権的営業権」とはいったい何だったのか。本報告では、最終的にこの問いへの答えを探りつつこれまで自明とされてきた「人と物の関係」を相対化する視座を求めたい。それはとりもなおさず近代的な私有制をめぐる問題構成にかかわってくるはずである。
 

* 次回は2月21日(土)、瀬尾文子氏によるご報告の予定です。
* 会員の皆様の一部に配信いたしました例会案内メールで、件名が誤っておりました。正しくは「reki-nin 231」です。訂正してお詫びいたします。


第230回「歴史と人間」研究会シンポジウム

「正確さ」と「迅速さ」の創出をめぐって―標準時と電信・電話網
 

日時: 2014年12月13日(土)14:00〜17:30
* 土曜日の開催となりますので、ご注意ください。
 

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図7番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
 

プログラム:
趣旨説明(14:00-14:10)
見市 雅俊(中央大学)
 

報告1(14:10-14:50)
石橋 悠人(日本学術振興会特別研究員)
「標準時を共有する社会の生成――19世紀イギリスにおける時間の経験」
 

報告2(14:50-15:30)
石井 香江(同志社大学)
「コミュニケーション革命を職場からみる――19・20世紀ドイツの情報通信技術とジェンダー」
 

休憩(15:30-15:45)
 

コメント1(15:45-16:00)
高嶋 修一(青山学院大学)
 

コメント2(16:00-16:15)
高林 陽展(清泉女子大学)
 

報告者からのリプライ・全体討論(16:15-17:30)
 

司会・進行
森 宜人(一橋大学)
 

忘年会(18:00〜)
 

シンポジウムの趣旨:
 「歴史と人間」研究会は、毎年12月、シンポジウムを開催してまいりました。今年は、科学技術の社会・文化史にかかわるテーマでシンポジウムを企画しました。
 19世紀の後半、欧米を先頭にして標準時が定められ、さらに電信・電話網が整備され、文字通り地球規模で、社会の活動のリズムと情報環境のありようが劇的に変わります。今日のグローバル化された世界の原型を、ここにみることも充分、可能でしょう。
 今回のシンポジウムでは、この大きな変化の「現場」に焦点を絞ることにします。これまでの研究ではあまり注目されることのなかった、標準時の確立とその普及につとめた科学者たち、そして電信と電話のオペレーターたちの奮闘ぶりが明らかにされ、さらに、これらの人びとの営為を通じて利用者の信頼が獲得されてゆく、その過程がつまびらかにされます。科学技術の進歩と私たちの生活・意識の変容とはどう絡み合うのか。さまざまな角度から論じる機会になればと願っております。
 多くの方々のご参加を心からお待ち申し上げます。

 なお、シンポジウムの後は、これも例年通り、同じ会場にて「大忘年会」(会費1,500円)を予定しております。こちらも奮ってご参加ください。とくに年長の方々の「差し入れ」を歓迎します。


第229回「歴史と人間」研究会

日時: 2014年11月15日(土)14時より *土曜日ですので、ご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
(キャンパス地図7番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
*今回はいつもの職員集会所ですので、ご注意ください。

報告: 清水 祐美子氏
タイトル: 「『民衆』の矜持と祖国愛の行方―ルイ・ナポレオンに捧げた歌に見る」

要旨:
 1852年の秋、ルイ・ナポレオン大統領(後のナポレオン3世)の肝煎りで、政府主導の全国民謡調査 (1852-1857) が開始された。この調査は、主に小学校教師など教育関係者や地方研究者の協力で行なわれたが、少数ながら、「民衆」の協力者もあった。
 本報告では、「民衆」がルイ・ナポレオンに宛てて送った詩歌や書簡を手がかりに、ルイ・ナポレオンへの支持表明のあり方、ならびに、第二共和政末期〜第二帝政初期にかけての時期における「民衆」の「政治」意識の特徴について考察する。
 

* 第230回「歴史と人間」研究会は12月13日(土)、シンポジウムと恒例の忘年会の予定です。



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とは?

研究会の概要、これまでの例会

今後の例会

<2024年>
6月 土方 咲氏(東京大学(院)) 7月 森 宜人氏(一橋大学) 9月 福元 健之氏(福岡大学) 10月 佐藤 公紀氏(明治大学) 11月 原 聖氏(女子美術大学名誉教授)

出版記録

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