第246回「歴史と人間」研究会

日時: 2016年7月16日(土)14時より *土曜日ですのでご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
 (キャンパス地図10番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 大塩 量平氏

タイトル: 「18世紀後半ウィーン宮廷劇場におけるドイツ語演劇俳優の人材調達―社会史的分析―」

要旨:
 本報告は、皇帝ヨーゼフ2世の劇場改革期(1776-1790年)のウィーン宮廷劇場に雇用されたドイツ語演劇俳優を対象に、その社会的地位および雇用関係を検討することで、ウィーン宮廷劇場の活動が近代都市社会に浸透した経緯の一端を考察する。
 18世紀後半のウィーン宮廷劇場は既に一種の市場取引的な経営を導入しており、不特定多数の聴衆の移ろいやすい需要へ柔軟に応じる上演を迫られた。そのような中で人材調達、すなわち俳優の雇用は如何なる変化を見せたのか。一般に、中世以来の差別される「遍歴芸人」は近代に社会的地位を向上させ、自由な活動を実現した。本報告はこの流れがヨーゼフ期ウィーンで進展し、宮廷劇場と俳優とが対等かつ自由な雇用取引を行ったことを明らかにする。そこで歴史社会学における「規律化」の観点から俳優の社会的地位の向上の経緯を考察し、社会史的観点から雇用の実態を詳細に整理した後、最後に一種の俳優の「人材市場」の生成の可能性を論じたい。


* 8月の例会はお休みです。次回は9月17日(土) 東風谷太一氏によるご報告の予定です。


第245回「歴史と人間」研究会

日時: 2016年6月12日(日)14時より

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
 (キャンパス地図10番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html)

報告: 佐藤 空氏

タイトル: 「エドマンド・バークの経済思想を再考する―自由市場・社会秩序・戦争」

要旨:


* 次回は7月16日(土)大塩量平氏によるご報告の予定です。

第244回「歴史と人間」研究会

日時: 2016年4月23日(土)14時より *今回は土曜日の開催となります。ご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
 (キャンパス地図10番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 渡辺 賢一郎氏

タイトル: 「少女マンガの表現技法と歴史叙述としてのマンガ」

要旨:
本報告は、過去を物語る、すなわち歴史を表現する様々なメディアのひとつとして、マンガがいかに過去を表現しうるのか、その可能性について焦点をあてる。具体的には少女マンガの表現技法を確認し、その技法としての多声性に注目し、ひるがえって歴史叙述としてのマンガがいかなる表現技法をとるのかを考察する。そして、そのことをとおして従来の歴史の叙述のあり方を問い直すことをねらいとしたい。そこで、まずマンガ批評における表現の技法や物語技法についての議論を紹介し、その物語は誰の物語なのかという、歴史叙述のありかたからも重要だと思われる点を確認しながら、いくつかの作品を参照して上記の問題に取り組みたい。
 

* 5月は学会シーズンのため、お休みです。6月例会は佐藤空氏によるご報告の予定です。日程が決まり次第、改めてご連絡いたします。


第243回「歴史と人間」研究会

日時: 2016年3月21日(月・祝)14時より *今回は月曜日(祝日)の開催ですので、ご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
 (キャンパス地図8番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 森 宜人氏

タイトル: 「『社会国家』の形成と都市ガバナンス―ワイマール体制成立前後のハンブルクにおける失業扶助を事例に―」

要旨:
本報告では、第1次大戦期〜ワイマール期中葉ドイツにおける都市ガバナンスの変遷を、都市ハンブルクにおける失業扶助の展開に即して考察する。ドイツでは、大戦期のライヒ戦時福祉事業によって失業者救済のための国家的取組みが緒に就き、その枠組みを継承した1918年のライヒ失業扶助令は、1927年のライヒ失業保険成立に至るまでのワイマール社会国家における失業者救済の柱となった。だが、当該期間における失業扶助の運用は、各都市の裁量に委ねられていた。報告では、以上の制度的枠組みの中におけるライヒと都市の関係、都市内部における公的セクターと非公的セクターの関係に着目して、上記の課題に取り組みたい。
 

* 次回は4月23日(土)渡辺賢一郎氏による報告の予定です。


第242回「歴史と人間」研究会

日時: 2016年2月20日(土)14時より *土曜日ですのでご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
 (キャンパス地図8番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 増田 都希氏

タイトル: 「18世紀後半フランスにおける”中間の人びと”へのまなざしと「文明化」―「処世術書」という史料から」

要旨:
 18世紀フランス史において「中間層」や「ミドルクラス」研究はなく、代わりに「ブルジョワジー」という集団についての研究がなされてきた。そしてFr.フュレらの調査などによって、アンシアン・レジームのフランスには、きたる産業社会の担い手となる資本家の卵としての「ブルジョワジー」はいなかったと結論付けられ、「ブルジョワジー」研究には一つの幕がおろされた。
 本報告は、この結論に異をとなえるものではない。だが、この「ブルジョワジー」とは別に、それでも18世紀後半フランスには「中間」に位置するとみなされていた人びとがおり、彼らこそフランスの発展や文明化の鍵をにぎる人びととして、当時の思想家の関心をあつめていたという仮説をたてた。本報告は、この仮説を当時の「処世術書」という史料を中心に検証することを目的とする。
 

* 次回は3月21日(月・祝)森宜人氏による報告の予定です。


第241回「歴史と人間」研究会

日時: 2016年1月31日(日)14時より

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
 (キャンパス地図8番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 加藤 鉄三氏

タイトル: 「How to dismantle an Atomic Park(アトミックパーク解体新書):カリフォルニア州ボデガ湾地区における原子力発電所反対運動とその後先、1958年〜1964年」

要旨:
 本報告の対象であるカリフォルニア州ソノマ郡ボデガ湾(Bodega Harbor)地区における反原子力発電所運動は、以下の点で際立っている。何よりもアメリカ[合衆国]で最初に成功した原子力発電所反対運動であり(尚、核エネルギーの平和利用に対する反対運動としては、同時期に起こったアラスカが先に成功)、おそらく実用炉としては世界史上最初に成功した原子力発電所反対運動であることだ。
 加えて、この運動はその担い手たちに覚醒効果を持ったことが挙げられる。道は分かたれ、時に対立関係になることはあれども、活動家であり続けた人々がおり、後にカリフォルニア大学バークレー校の教授になった女性もいた。更に電力会社の夢の跡はその後カリフォルニア州の州立公園システムに包摂されており、半世紀強を経た今日でもピンポイントで示すことができる。そこで本報告では担い手たちのその後にも一定の焦点を当てる。
 日本では知名度の低いこの運動であるが、先行研究は存在しており、1990年代に原子力政策史とカリフォルニア州の反原子力発電所運動史の観点から優れた研究がある。また2001年にもイギリスのアメリカ史・環境史研究者ウィリスが論文を発表しており、さらに最近、この運動をローカルなレベルで支えた1人であるビル・コータム氏の活動を描いた小著が出版されている。本報告ではこれらに大枠としては準拠しつつ議論を行う。
 この運動の特徴は大別して2つの局面からなり、原子力発電所反対運動として始まらなかったことにある。論争の起点となった1958年当初、パシフィック・ガス・アンド・エレクトリック(以下、PG&E)社は原子力発電所を選択肢の一つとしてのみ提示しており、この時点ではアメリカ国内に稼働中の実用炉は1基もなかった。そのような状況下、少数の地区住民に自然保護団体シエラ・クラブが、地権者の女性に招請される形で運動が始まった。同クラブの中心論拠は同地がカリフォルニア州の州立公園候補地であるというものであったが、ほぼ当初から、状況証拠から原子力発電所であると踏んで、独自の調査を行っていた知識人がいた。ソノマ郡在住の海洋生物学者J・ヘッジパスである。先ず、既存の論争史や運動史ではやや軽視されがちな州立公園システムの問題とヘッジパスの活動に焦点を当てる。
 第2局面として、1961年の原子力委員会(Atomic Energy Commission)による公示後、特に1962年にPG&E社が原子炉の安全性に関する報告書を発表して以降、科学者らの協力を得ながら原子力発電所反対運動が展開された。そして1964年10月30日、PG&E社が中止を発表することで終結した。この間、シエラ・クラブには従来の自然保護の議論に拘り、自然保護と(原子力)発電所建設の関係にも煮え切らなさがあったと指摘されているが、全員がそうであったわけではない。若手メンバーであったD・ペソネンは見切りつけて現地市民サイドの表の顔役となり、トイヤベ支部(拠点はネヴァダの州都リノ)の中心人物R・シルは総論としてペソネンに賛成しつつ、ソノマの郡庁所在地サンタローザを訪れて、原子炉立地判断の困難さを語っていた。ここではシルが残した資料などを参照にして、論争直後に至るシエラ・クラブの原子力発電所−自然保護区関係の認識を再確認したい。
 他方、市民サイドで反対運動の中核をなした人物として、前述ヘッジパスとペソネンを含む、8人の男女市民が知られているが(本報告では彼女ら/彼らをFab Eightと呼ぶことにする)、資料の残存度・開示度にはバラつきがあり、2015年夏の時点で公開されていたのはヘッジパスとペソネンの2人だけであった。
 そこで地域の活動家の在り方を考える一助として、昨年(2015年)8月に齢100にしてこの世を去ったひとりの女性を紹介する。彼女はFab Eightのような中心にいた人物ではなかった(ようである)が、彼女の残した文書からは、会報や新聞記事などを受け身に受容するだけではなかった姿がうかがえる。そして前述のコータムが60年代末に海岸線保全運動COAASTを立ち上げたとき、結成メンバーに名を連ね、相応に重要な役割を果たしており、同運動は1970年代初頭にメンドシノ郡で原子力発電所計画が持ち上がった時、反対運動を展開している。
 本報告は「中間報告」的性格のものであるが、流行りものの1960年代論とは趣を異にする、アメリカ最初の原子力発電所反対運動の姿を示すことができるのではないかと考えている。
 

* 次回は2月20日(土)増田都希氏による報告の予定です。


第240回「歴史と人間」研究会シンポジウム

戦後西洋史学をふり返る―20世紀末の「社会史」の勃興を中心に―
 

日時: 2015年12月19日(土)14:00-17:30
*土曜日の開催となりますので、ご注意ください。
 

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所
 (キャンパス地図8番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
 

プログラム:
趣旨説明(14:00-14:10)
森 宜人(一橋大学)
 

報告1(14:10-14:50)
見市 雅俊(中央大学)
「コミンテルンから路地裏へ」
 

報告2(14:50-15:30)
土肥 恒之(一橋大学名誉教授)
「『社会史研究』創刊のころ」
 

休憩(15:30-15:45)
 

コメント1(15:45-16:00)
夏目 琢史(一橋大学)
 

コメント2(16:00-16:15)
長谷川 貴彦(北海道大学)
 

報告者からのリプライ・全体討論(16:15-17:30)
 

忘年会(18:00-)
 
 今日の西洋史研究は、研究の細分化・専門化が著しく進行し、その結果、研究全体のありようが非常に見えにくくなっています。これからの歴史学を展望するためにも、まずは、これまでの日本における西洋史研究をふり返ってみる必要がありそうです。
 このシンポジウムでは、戦後西洋史学の重大な転機となっただけでなく、20世紀末における知の一大トレンドとなった「社会史」の勃興に焦点を合せることにしました。「社会史」勃興の立役者となった雑誌『社会史研究』と角山榮・川北稔編『路地裏の大英帝国』の刊行に、当時、それぞれ若手研究者として関わったお二人の報告者に当時の知的環境をお話しいただき、さらに、西洋史と日本史を専門とするお二人のコメンテーターに、後継世代の視点から、議論の俎上にのせるべきイシューを提示していただきます。
 「社会史」のあり方については、「下からの」歴史学や、日常性の重視、消費の復権、社会の周縁への注目などさまざまな理解が可能ですが、そこには、旧態依然とした方法論に飽き足らず、研究パラダイムの刷新をはかりたいという想いが通奏低音として流れていたのではないでしょうか。このシンポジウムが、そのような熱い想いがこめられていた「社会史」の意義をあらためて確認することによって、今後、歴史学はどのような道を歩むべきかについて考えてみる機会になればと願っております。

 シンポジウム終了後は、同じ会場にて恒例の「大忘年会」(会費1,500円)を予定しております。こちらも奮ってご参加ください。とくに年長の方々の「差し入れ」を歓迎します。
 

* 次回は1月31日(日)加藤鉄三氏による報告の予定です。


第239回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年11月14日(土)14時より *土曜日ですのでご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス職員集会所 *前回とは異なりますのでご注意ください。
 (キャンパス地図8番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 佐藤 和哉氏
タイトル: 「子ども向け翻訳書としての『ロビンソン漂流記』―南洋一郎を中心に―」

要旨:
 戦前から戦後にかけて、子ども向けの本の実作・翻訳(翻案)に腕を振るった南洋一郎(=池田宣政)(1893〜1980年)は、1938(昭和13)年に「大日本雄辯會講談社」から『ロビンソン漂流記』を出版する。この版は戦後、1946(昭和21)年、1950(昭和25)年にも少しずつ修正を加えながら出版されるが、戦前の翻案がデフォーの原作以上に色濃く持っていた植民地主義的・男性中心主義的性格は、戦後の出版においても保たれたままだった。その一方で、子ども向け物語の実作の経験に基づいて、南はロビンソンの性格づけに意を用い、少しでも親しみやすいキャラクターに作り替えていた。その成功の度合いは、戦後の翻案のなかに、南のアイディアを取り入れたものが散見されるところからも伺い知ることができる。
 同時期に南=池田がほかの出版社から出版した『ロビンソン』の物語にもこのような登場人物の性格付けは見られるものの、植民地主義的・男性中心主義的な再話のスタイルは取られていない。南が「池田宣政」として作家デビューしたのが同社発行の人気雑誌『少年倶楽部』においてであったことや、出版社によって翻案された『ロビンソン』の性格が異なることからすると、ここで問題としている『ロビンソン漂流記』の性格には、出版社の色彩が反映されていると思われる。
 以上を踏まえて、本報告では、まず南の『ロビンソン漂流記』の翻案のテクストに見られるいくつかの特徴的な点を指摘し、このテクスト特有の性質を確認する。次に、南の創作・翻案活動の主な場であった『少年倶楽部』について概観し、大日本雄弁会講談社という出版社の子ども向け図書出版物・出版事業のなかにこのテクストを位置づける。この作業を通じて、戦前・戦後の児童書出版というコンテクストのなかで『ロビンソン』がどのように受けとめられてきたのかを見ていきたい。
 日本における『ロビンソン』受容に関する研究のなかで、狭義の英文学研究の外では、社会経済史的な「近代的人間類型」としての見かたや、それに対するリアクションの影で、児童書としての側面が等閑視されてきた嫌いがある。昭和期を中心にこの受容のされかたを見ることで、『ロビンソン』というテクストの変容と受容に関する全体像を俯瞰する作業の一助としたい。
 

* 次回は12月19日(土)恒例のシンポジウム&大忘年会の予定です。詳細は近日中に配信いたします。


第238回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年10月24日(土)14時より *土曜日ですのでご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
 (キャンパス地図10番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 馬場 わかな
タイトル: 「世紀転換期ドイツにおける社会保険制度と女性―在宅看護・家事援助を手がかりとして―」

要旨:
 本報告の目的は、在宅看護・家事援助(Hauspflege)という活動に着目しながら、19/20世紀転換期ドイツの社会保険制度について考察することである。
 在宅看護・家事援助とは、出産や病気などに際してもなお主婦・母親役割を継続することを余儀なくされていた既婚女性に対して、その役割の代行を主な任務とする扶助員を派遣し、女性の家族全体の「秩序ある生活」の維持を目指した活動である。1892年にフランクフルト・アム・マインでドイツ最初の在宅看護・家事援助協会が創設されたのを契機として、ベルリン(1897年)、ハンブルク(1899年)、デュッセルドルフ(1909年)などで同様の協会が創設され、第一次大戦前夜には、40以上の都市で在宅看護・家事援助が実践されていた。
 このように民間主導の扶助として在宅看護・家事援助が提供されていた一方で、在宅看護・家事援助を社会保険の給付化しようとする動きも生じていた。この動きは、1911年のライヒ保険法において結実する。同法第2編の疾病保険に任意給付として組み込まれたのである。現在でも、在宅看護・家事援助に相当する給付は、社会法典第5編の法定疾病保険で、「在宅病人看護」(第37条)や「家政扶助」(第38条)として規定されている。
 本報告ではまず、妊娠・出産や病気に関する規定の変遷を概観しつつ、この在宅看護・家事援助について、ハンブルクおよびデュッセルドルフの在宅看護・家事援助協会の活動実態や保険給付化をめぐる議論に即して具体的に解明する。それを通じて、世紀転換期ドイツで「誰の、何について、どのような支援を、どのように行うべき」だと考えられていたかについて考察を加えたい。そして、在宅看護・家事援助が「家事の労働化」を推し進めた一方で、逆説的ながら、社会保険制度の前提となっていた「男性稼得者・専業主婦モデル」を強化する方向にも作用したことを示すのが本報告の課題である。
 

* 次回は11月14日(土)佐藤和哉氏による報告の予定です。


第237回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年9月27日(日)14時より
場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
(キャンパス地図10番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html
報告: 犬童 芙紗氏
タイトル: 「ジングアカデミーと19世紀ハンブルクの社会―合唱協会と慈善活動の関わり―」
要旨:
 19世紀ドイツには、共通の目的や関心のもとに自発的に集まった人びとで結成する自主組織「協会」(Verein)が数多く設立された。合唱協会は、19世紀ドイツに設立された協会の例としてよく言及されるが、1791年にベルリン・ジングアカデミーが設立されたのを機に、ドイツ各地で設立された。
 19世紀ドイツの合唱協会に関しては、これまで、男声合唱協会の合唱祭や祝祭とドイツ国民運動との関わりを中心に、多くの研究成果が生み出されている(松本彰氏他)。合唱協会が市民層の自意識の表現と結びついていたことは、井上登喜子氏が19世紀ドレースデンの合唱協会の実証研究を通じて明らかにしている。宮本直美氏は、合唱協会の活動を、市民的教養の理念との関わりから論じている。報告者は、ハンブルク・ジングアカデミーが毎年開催していた慈善目的を伴う演奏会に注目して、都市内部の社会的関係におけるジングアカデミーの位置づけやその役割について研究を進めている。
 ハンブルク・ジングアカデミーは、1819年に設立されたが、当初は、公開の演奏会を開催していなかった。だが1835年以降、毎年、聖週間に公開の演奏会を開催し、入場券やテキストの販売を通じて得た収益金を慈善のために寄付するようになる。当時、ハンブルクには、貧困層の増加を巡る社会問題の深刻化に対する市民層の関心が高まっており、市民の有志によって、貧民支援を目的とした慈善団体が相次いで設立されていた。ジングアカデミーはなぜ1835年になって、定期的に公開の演奏会を開催するようになったのだろうか。ジングアカデミーの慈善目的を伴った演奏会は、ハンブルク市民によって結成された様々な慈善団体の活動とどのように関係していたのであろうか。そこから、当時のハンブルク市民の間の社会的関係も明らかになるのではなかろうか。
 本報告では、まず、ジングアカデミーが1835年から定期的に公開で演奏会を開催するようになった経緯を明らかにし、その意義について論じる。それから、ジングアカデミーと19世紀ハンブルクにおける市民による慈善活動の関係、および市民の間の社会的関係について、演奏会の収益金の寄付先に注目して考察する。考察には、ハンブルクの州立・大学図書館に所蔵しているジングアカデミーの議事録、州立公文書館に所蔵している市参事会や教会の一次史料、および、ジングアカデミーから演奏会の収益金の寄付を受けていた慈善団体の年報や議事録を利用する。

* 次回は10月24日(土) 馬場わかなによる報告の予定です。


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<2018年>
11月17日 田村俊行氏
12月16日 シンポジウム・忘年会
3月    見市雅俊氏

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