第236回「歴史と人間」研究会

日時: 2015年7月11日(土)14時より *土曜日ですのでご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
(キャンパス地図9番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/index.html

報告: 高嶋 修一氏
タイトル: 「鉄道と社会秩序:日本の場合」

要旨:
 「日本人は礼儀正しく秩序を重んじ、電車に乗るときもきちんと列を作るのであって、我勝ちに駆け込むようなことはしない」という類の言説がいま、メディアにあふれかえっている。それらは臆病なナショナリズムがすがろうとする「藁」に過ぎないのだが、一方で人々がラッシュ時の駅ホームできちんと列をなして素早く乗降し、列車の定時運行を根底で支えているのも事実であって、これは西欧諸国の鉄道と比べても際立った特徴と言える。
 もちろん、それが「民族の特性」などに由来するものでないことは明白である。そのことは、かつては「西欧人は公共の秩序を重んじるのに対し、日本人はそれができない」といったような議論が学界でも世間でも優勢だったことを想起すればすぐに諒解される。要するに、この種の事柄は、時間とともに変化する、すぐれて歴史的な現象なのである。
 では、日本人はいつからどのようにして(少なくとも電車に乗るときには)「礼儀正しく秩序を重んじる」ようになったのであろうか。新聞記事や各種の調査資料を見る限り、駅や車内で列を作りスムーズに行動することに対しては20世紀初頭からすでにポジティブな価値が与えられていた。経済的な効率性の向上に寄与するというわけである。もっとも、人々の実際の行動はそうした規範からかけ離れたものであった。
 だが、両大戦間期から戦時期にかけて、日本人は列を作り素早く行動するように変化していった。それは、輸送量が急激に増加したにもかかわらず、それに見合うだけの設備投資がなされなかった結果であった。根底には資金と資材の不足があったのだが、人々はこうした事柄を必ずしも抑圧とは受け止めず、むしろ身体のシステマティックな所作に要求されるある種の「熟練」を道徳的優位性と結びつけ、積極的に受け入れていったのである。
 社会資本整備を最小限に抑えつつその不足を人間行動のシステム化で補い、しかもそれを積極的に評価するという日本社会のこうした傾向は戦後まで継続したし、冒頭にみたようにこんにちにもみられる。だが、もし設備の側が充足するかあるいは過剰になれば、こうした道徳律も動揺せざるを得ないであろう。
 本報告では、こうした問題を東京の都市交通に即して考えてみたい。
 

* 8月の例会はお休みです。次回は9月27日(日) 犬童芙紗氏によるご報告の予定です。



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