第227回「歴史と人間」研究会

日時: 2014年9月27日(土)14時より *土曜日ですので、ご注意ください。

場所: 一橋大学西キャンパス本館特別応接室
*いつもの職員集会所ではございませんので、ご注意ください。
(キャンパス地図8番 http://www.hit-u.ac.jp/guide/campus/campus/

報告: 志田 達彦氏
タイトル: 「『カール大帝かシャルルマーニュか』—ヘルマン・ボーテ(1450/60?-1520?)の世界史記述におけるカール大帝像と帝権移転論—」

要旨:本報告は、後期中世の都市における帝国(imperium / Reich)観念を考察するための一助となることを目指すものである。
 中世の人びとにとって、ローマ帝国ならびに皇帝権は、最も重要な概念の1つであった。帝国が自らの生きる時代にも存在し、そして世界の終末まで存続することを、キリスト教的な歴史観のもとで論じたものが「帝権移転」(translatio imperii)論である。この理論は、天地創造から歴史を語る「世界史」と分かちがたく結び付いている。中世の帝国に生きる歴史家たちは、しばしばこのジャンルのテクストを執筆した。
 中世の帝権移転論では、歴史上4つの世界帝国(Weltreich)が存在し、その第4のものがローマ帝国であり、この帝国と皇帝権は、さまざまな民族に移転され、いまなお受け継がれていると考えられた。西ヨーロッパのヴァージョンでは、800年のフランク王カールの皇帝戴冠によって、東ローマ帝国の皇帝権が西のフランク王国に移転されたとされる。
 さて、次第に「ドイツ人」の支配領域に限定されていく帝国では、東から西への帝権移転をもたらしたカール大帝の位置付けは、微妙な問題であり続けた。中世の「世界史」叙述においては、「ドイツ人」が帝国を担う契機を、フランク人カールの戴冠ではなく、カエサルと「ドイツ人」との同盟にまで遡らせることがあった。また、武勲詩や物語のなかで、カール大帝は「フランス人」であるとされることもしばしばであった。「この皇帝は、ドイツ人であったのか、それともフランス人であったのか—このことをドイツ人は12世紀以降常に問い続けなければならなかったし、実に1935年になってもまだ議論は繰り返され」、「ドイツ史において20世紀にいたるまで、奇妙なほど不安定な位置しか占めることができなかった」(ハインツ・トーマス)という。
 以上の議論を踏まえた上で、本報告では、ハンザ都市ブラウンシュヴァイクのヘルマン・ボーテ(1450/60?-1520?)の世界年代記を取り上げ、ボーテの帝権移転ならびにカール大帝の位置付け、そして彼の「世界史」観においてこれらが持つ意味に迫りたい。
 

* 次回は10月18日(土)、原田桃子氏によるご報告の予定です。



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